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2018.10.15 金策
困った相場である。
持ち株が値下がりして、資産が減るのも嫌なものだが、私の場合、もうそういうことには、さほど悩まない。えらそうなことを言ってるわけではなく、いい年をして、100万円下がろうと5000万円下がろうと、どうなったところで、泣きわめくほどのことはない、そういう性質の資金、規模のでやっていて、どうなろうと、ケセラセラという境地に達しているということである。

それでも、いやな気分になるのが、証券会社から、不足金が発生して・・万円入金せよ、とか委託保証金率が激落して、お金を入れないとにっちもさっちもいかないといった状況に追い込まれることである。
今回は、そういうことはないのだが、ある意味、それ以上に深刻な状況だ。それは数日前から今月後半にかけ、大量の期日が到来することである。それも小型株で出来高がごく少ないから、売却で済む話ではないのである。ほとんどを現引く(建玉分の現金を入れる)するしかない。数千万円が必要なわけだが、無い袖は振れない。
かくして、ここ他の持ち株を売却して資金を作ることに加え、金策の日々が続く。

ブログを書くのも気が重い、金策も大変だ。そんなことを思っているとき、ヤフオクである本を落札したので、関連でいろいろ興味のある本の売り物を見ていたら、渡辺温(1902年~1930年)に行き当たった。
そこで、今知ったのが温と及川 道子(1911年~1938年)との関係である。
道子は1920年代後半〜1930年代前半の日本映画で、清楚で近代的なキャラクターを数多く演じ、「永遠の処女」と呼ばれた。
『新青年』の編集者で、後に異色作家として知られるようになる渡辺温(代表作「可哀そうな姉」)とは、少女時代から交流があった。2人は互いに結婚を望む間柄となるが、道子が結核(当時は不治の病に近い病気だった)だったため周囲の反対にあい、実現せずに終わった。道子は温の死後、夢の中で温に会った話を残している(「渡辺さんに会う記」)。1930年2月に渡辺は27歳で不慮の死を遂げた(谷崎潤一郎に原稿督促に行った帰り、乗っていたタクシーが貨物列車と衝突し死亡)が、道子もその8年後26歳で結核のため死亡した。2人とも長生きしていたら、どんなことになっていただろうと惜しまれる才能の持ち主だったが、ともに20代で亡くなったわけである。
ちなみに温の実兄・啓介(推理作家。代表作「偽眼のマドンナ」)は101歳の長寿を全うして2002年に亡くなっている。

興味のない方には長々苦しめてしまったが、ここからが本題。
1928年7月、温はサイセリアの山田マリと結婚、9月には横溝正史に誘われ鎌倉に転居。
以下は正史の「惜春賦」より。
>昭和4年私の父が死んだ。うちには葬式を出す金なんかなかった。その朝マリさんがやってきて、温ちゃんとふたりで東京へ行きたいから汽車賃を貸してくれという。家内はよんどころなくなけなしの財布をはたいたもののあとで憤慨していた。今をどういう時だと思っているんでしょうと。温ちゃんよりひと足おくれて家を出た私が、博文館へ出て、やっと金策をして三時ごろ鎌倉へかえってくると、家内が泣いていた。温ちゃんやマリさんにすまないことをしたという。どうしたかと訊ねると、さっき温ちゃんが香典にと言って、これだけ届けてくれたと五〇円の金を出して見せた。当時大学出の初給が四十円という時代である。温ちゃんは私たち一家のために東京へ金策に出かけるための汽車賃を借りに来たのである。

私も鎌倉で今日も金策。預金通帳を全部引っ張り出して、合算すると、予想外にあって(と言っても思っていたほど減っていなかっただけだが)ホクホク。2日前に続き200万円を証券会社の口座に振り込み。これで10.18日までの期日は乗り切れる。次は23日までない。
こうしてみると、文無しとか言いながら温や正史は借金能力抜群でのんきなものだとさえ思える。出版社も気軽にお金を貸してくれるんだからいい時代だ。私らの時代は、出版社でもさすがにそんなことはなかったと思うが、それでも給料の前借りは軽い気持ちでできた(私も何度かした)。時代はせちがらくなる一方である。それはともかく、こちとら、それなりのお金は動かしていても、板子一枚下は地獄の生活で、これからも金策の日々が続く。

NYダウは現在小幅高(+0.1%前後)だがNQは0.8%の下げ。為替も1ドル111.8円前後とやや円高が進んでいる。こうした状況で日経平均先物・大証夜間は41円安。
どちらに転ぶか微妙なところだ。悪いシナリオも念頭に備えだけはしっかりしておきたい。

10月15日 23時37分記

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