FC2ブログ
6月1日、渋谷Bunkamuraオーチャード・ホールで、シルビー・バルタンの公演を観た。
バルタンは、今回の公演直前の5.29日、NHK「歌コン」に出演、時間を気にして制止したげな小郷さんのそぶりも何のその、ぜひ言っておきたいことがあるとして言ったことが、日本の47都道府県全部に行ったということ。さすが全盛時弾丸ツアーを何度も敢行しただけのことはある。
1965年5月世界ツアーの一環で初来日したわけだが、彼女の言(今回)によれば、外国への最初の公演だったという。この時、大勢のファンが羽田空港に詰めかけていてくれたことに感激、日本は「愛の国」と感じたと、今回の公演で、日本語で語った。
最初の夫、ジョニー・ハリディ(昔はフランス語読みでアリディが普通だったはずだが、6.1日はバルタン自身が英語風にハリディと言っていた)は、昨年12月に亡くなっているが、公演では2人のむつまじい映像が流れ、バルタンは葬儀には100万人もの人たちが集まったと言っていた(通訳があった)。ハリデイは日本ではそう有名ではないが、フランスではバルタンに優るとも劣らない圧倒的人気の超大物ロック歌手であり、2人は離婚後も良好な関係を続けていたのである。

2008年のやはりオーチャード・ホールでの公演に私は行っているので、今回は2回目だが、バルタンも最近は来日してないようだがと、なにげなくチェックしてみて、今回の公演Forever Sylvie Live in Japan 2018を知り、さらにこれが、日本公演の最後となるということに驚き、矢も楯もたまらなくなり、チケットを購入したわけである。

アイドルを探せ「La plus belle pour aller danser」(直訳すると「最も美しくなって踊りに行く」、意訳して「ダンスパーティーで一番美しく」)の少女の風貌がどう変貌したかを語るのはやめよう。
1944年生まれの少女は、その後「フレンチポップスの女王」と呼ばれるようになり、今はむしろロックを主体にジャンルを超えた幅広い世界的歌手であり、なお毎年のように新しいアルバムを制作し続け、まさにレジェンドと呼ばれるにふさわしい存在になっている。
とはいえ、最近、30代、40代、50代の人3人に聞いたら、3人ともバルタンの名前さえ知らないのには絶句した。
ちょっと大げさに言えば、デビューまもなくのパリ・オランピア劇場登場ではビートルズを前座に、今回の日本最終公演では八代亜紀を前座に従えたこの超大物歌手なのに・・・

公演(7時から10時)終了後、家に着き(12時近くになっていた)、郵送物を開いたら、丹波さんからの第4歌集『朝涼(あさすず)』だった。丹波さんは平凡社時代の先輩だが、彼も1944年生まれ。
『朝涼』より2首

くつろげる八千草薫の居間に見ゆわれも関はりし『世界大百科事典』
「丹波さん来月から来てね」校正のしごと賜ひぬ宮夫人より
注=宮夫人の「宮」は宮柊二。丹波さんはコスモス短歌会で宮柊二に師事。宮柊二は我が母校長岡高校の大先輩にあたる。

高校時代、受験勉強をしながら深夜放送で毎夜聴いていた「アイドルを探せ」、それから半世紀余、また平凡社時代から約40年、くしくも、同年生まれの2人との邂逅?に涙ぐみそうである。
そう言えば、バルタンも公演途中、涙ぐんでいたような場面もあった。

6月03日 1時44分記
Secret

TrackBackURL
→http://kamakurayuusuke.blog134.fc2.com/tb.php/3096-cb228170