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今日は日帰りで道志に出掛けて帰って来たわけだが、道中、いたるところ、義家弘介氏のポスター。
 優しさを、届ける 文部科学副大臣 義家弘介
やたら増えたような気がするけど、例の「びんせん」騒動沈静化対策で、一夜城よろしく、人海戦術で貼りまくったのかしらんと勘ぐってしまったが、妻曰く、「そんな新しくない」でちょん。

日本語能力不足などを言い募ると、要らざる反感を買うのが昨今のようなので、あまり言いたくないのだが、それにしてもあんまりなので、ごく簡潔に、必要最小限のことを書いておこう。

誰しも得手不得手があるのは承知している。私は数学、特に立体図形が苦手だし、「漸進」の読みが「ぜんしん」か「ざんしん」か不安になる。それでも一国の指導者たらんとするのであれば、最低限の日本語能力は必要だろう。
女子アナが「だんこんの世代」と我らを呼んでくれたのは、まあ笑い話で済むかもしれないが、そういう次元の話ではないのである。
安倍さんの「腹心の友」なる言い方に私は違和感を抱いていた。「腹心の部下」とは言うが「腹心の友」とは(あまり)言わないのでは、といった比較的高級なレベルのことではなく、安倍さんが「腹心の友」などという言い方を知っているのに違和感を抱いたのである(馬鹿にしているのではなく、私自身、知らなかったのである)。
そうしたら、「連綿・恋々」騒ぎの中で、安倍さんは最初「ばくしんの友」と言っていたということが判明し、なるほど、と膝を打った。私の違和感は正しかったのだ。その後、この間違いに気付いたであろう安倍さんは「腹心の友」と国会等で頻繁に使っている。「ばくしん」隠しと取る人もあろう。
注=「ばくしんの友」などという言い方はもちろんないわけだが、「莫逆の友」と「腹心の友」がごっちゃになって、こういう言い方になったのかといった憶測がネット上では有力なようだ。ついでに書くと「莫逆」は「ばくげき」とも読むという。「爆撃の友」!
なお「腹心の友」という表現はNHKの朝ドラ「花子とアン」で、はな(「赤毛のアン」の翻訳者村岡花子)が「bosom friend」の訳で迷った末「腹心の友」と訳す場面があり(2014年4.21日放映)、今では一般の人でも知っている方が結構いそうだ。安倍さん夫妻も観ていたと推察。
なお「bosom」は「胸」とか「心」のことだから、「胸」からの連想で「腹心の友」という言葉を知っていた(当時はある程度使われていた表現と推察)村岡花子は、これを採用したのであろう。今なら「心の友」と訳すところだろうが、これだとジャイアンの言葉になり、ううむとなるやも。

話をまとめよう。
文科副大臣が「便宜」を「びんせん」と読むのは、「有無」を「ゆうむ」と読んだ麻生さんや安倍さんの次元を超えて酷い。文科副大臣にして意味も分かっていないのだから。まさにレッドラインを超えてしまったのである。

自民党政治家の日本語能力不足を云々するのが、本稿や前稿の本旨ではない。
右であれ左であれ、議論の根本には、真実を大切にする精神がなければなければならないということである。前川前文科事務次官の行状がどうかなどは枝葉のことで、彼の発言内容が真実かどうかが問題であり、これは真実だろうと考えるのがまっとうな判断であり、その前提で、事を進める(彼の証人喚問等)べきだということである。
これさえ拒否する、我が日本政府の対応は狂っているとしか言い様がないではないか。心あるマスコミ、言論人はもっと危機感を持って、報道、主張してほしいものである。
ただ、大半の新聞が菅さんの「連綿」を「恋々」に言い換えているよう(未確認)(日経は「 」付きで菅発言を載せながら「連綿」はとばすという姑息なやり方)で、政府の顔色をうかがい忖度するクセが身にしみついてしまったようで、はなはだ心もとない。

5月28日 22時54分記

相場については、稿を改めて、しばらく後にアップします。
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