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2011.01.30
~を鑑みる
私は、これまで当欄読者にはあまり興味のないことではという懸念を抱きつつも、不適切な日本語、編集者等の質の低下に苦言を呈してきた。
今回もまた黙し難く、つい筆を執った次第。
1月30日付け日経新聞19面「経済論壇から」で、東大教授の福田慎一氏が
近年の成長率の「差を鑑みれば」、・・・・
と書いておられる。
「鑑みる」などという言い方は、私(1947年生まれ)世代の人間にとっても古めかしい言い方で、そのうち死語になるのではと思っていたくらいである。ところが比較的最近になって、こうした古めかしい言葉で若者に人気の、というか若者が意外と使いたがる言葉が、いくつか出て来るという現象が見られる。「鑑みる」や「某」などがその例である。それはいいのだが、意味は大体分かっても使い方はマスターしてないから、常識に従ったつもりの我流で使うから、誤ることになる。
「鑑みる」は「先例<に>照らして考える」ということで、ために「~<に>鑑みる」という表現になるわけである。「時局に鑑みて」(『広辞苑』にある用例)とか「破綻一歩手前の国家財政の状況に鑑みて」(鎌倉雄介作の用例)というふうに使う。「鑑」は「鏡」のことで、昔は「かがみ」は金属製だったので金偏をつけたのである。
さらに書くつもりだったが、いやみになるのでやめた。
「犬にえさをあげる」という言い方はだめ
などという、どうでもいいことを教育機関で教えたりしていないで、こういう間違いこそ、声を大にして正してもらいたいものだ。
ン、何で犬にえさをあげたらだめなの?
というあなたに。
「あげる」は「与える」「やる」のへりくだった言い方だから、犬にへりくだるのはおかしいというのである。余計なお世話ではないか。綱吉なら褒めてくれるだろう。最近は「えさ」などと言うと愛犬家から猛烈なバッシングを受けかねないことにこそ、気をつけたほうがよさそうだが。
1月30日 23時11分記
今回もまた黙し難く、つい筆を執った次第。
1月30日付け日経新聞19面「経済論壇から」で、東大教授の福田慎一氏が
近年の成長率の「差を鑑みれば」、・・・・
と書いておられる。
「鑑みる」などという言い方は、私(1947年生まれ)世代の人間にとっても古めかしい言い方で、そのうち死語になるのではと思っていたくらいである。ところが比較的最近になって、こうした古めかしい言葉で若者に人気の、というか若者が意外と使いたがる言葉が、いくつか出て来るという現象が見られる。「鑑みる」や「某」などがその例である。それはいいのだが、意味は大体分かっても使い方はマスターしてないから、常識に従ったつもりの我流で使うから、誤ることになる。
「鑑みる」は「先例<に>照らして考える」ということで、ために「~<に>鑑みる」という表現になるわけである。「時局に鑑みて」(『広辞苑』にある用例)とか「破綻一歩手前の国家財政の状況に鑑みて」(鎌倉雄介作の用例)というふうに使う。「鑑」は「鏡」のことで、昔は「かがみ」は金属製だったので金偏をつけたのである。
さらに書くつもりだったが、いやみになるのでやめた。
「犬にえさをあげる」という言い方はだめ
などという、どうでもいいことを教育機関で教えたりしていないで、こういう間違いこそ、声を大にして正してもらいたいものだ。
ン、何で犬にえさをあげたらだめなの?
というあなたに。
「あげる」は「与える」「やる」のへりくだった言い方だから、犬にへりくだるのはおかしいというのである。余計なお世話ではないか。綱吉なら褒めてくれるだろう。最近は「えさ」などと言うと愛犬家から猛烈なバッシングを受けかねないことにこそ、気をつけたほうがよさそうだが。
1月30日 23時11分記
神楽
広辞苑や大辞林には記載がありませんが、以下の辞書の用例にはあります。
現代国語例解辞典第二版(1993)「現状を鑑みるに」
岩波国語辞典第五版(1994)「時局を鑑みるに」
明鏡国語辞典(2002)「国際情勢を鑑みるに楽観視は許されない」
旺文社国語辞典第十版(2005)「先例を鑑みる」
精選版日本国語大辞典(2006)「臣が忠義を鑑みて」(太平記)
集英社国語辞典第三版(2012)「時局を鑑みるに」
古語の「鑑[カガ]みる」の用例まで考え合わせると、「~を鑑みる」(中世)→「~に鑑みる」(明治?-昭和)→「~を鑑みる」(平成)と移り変わっているようです。
2011年時点でも上記の辞書や日本国語大辞典第三版3を照らし合わせれば推測できることですから、福田慎一氏が信念を持って使った可能性は否定できません。
2015/12/22 Tue 22:16 URL [ Edit ]
鎌倉雄介
> 神楽さん。
興味深いコメントとご指摘、ありがとうございます。
実はあの記事を書いた後、念のためと思って調べたので、
古くは 「~を鑑みる」、「~と鑑みる」(小学館古語大辞典)、
「・・・生まれつきを鑑みて」(岩波古語辞典)という用例を
知り、ちょっと、この辺のことにも言及するべきだったな、と
思っていたのでした。その後失念。
ただ、ご指摘のように、明治以降くらい?からは「~に鑑み」となり、ずっと
それが続いて来たわけです。
この時点で、おかしなことになります。
「憧憬」は普通「どうけい」と読みますが、正しくは「しょうけい」と
固い国語辞典はしています。しかし「どうけい」は慣用として認めている
国語辞典もあります。
「~に鑑み」と「~を鑑み」は複雑骨折的状況のわけです。
そして、大胆に言えば20年くらい前から徐々に「~を鑑み」という
表現が広く使われるようになって来たように思われます。
ただ、こうなった理由は、本来、こちらが正しい用法だからではなく、
「鑑み」という古風でちょっと使うとかっこ良さそうな表現が、若者の目に
とまり、はやったということでしょう。
小学館古語辞典には「本来訓点語系の語と思われ、やや古い文章に用いられる
ことが多い。」(「かがみる」の項)とあるくらいで、団塊の世代くらいにとってさえ
もはや死語かよほどの人以外は、自身では使わなかった言葉だったと言っていいでしょう。
そういう言葉を若者が使い始めたわけです(麟子鳳雛などと同じ)。
今や、決算短信を読むと、数社に1社かと言いたくなるくらい「~を鑑み」 が出て来ます。
ネットで「鑑みる」を検索すると、「~に鑑みる」と「~を鑑みる」に関する
記述がたくさんあります。その大半は「~を鑑みる」は間違いというものです。
これなども、当の若者は良く知らずに使っているということの多少の裏付けに
なるでしょう。また、比較的最近出版の辞典でも「~を鑑みる」としているものは
かなりあります。手元にあるものではハイブリッド新辞林(1998年刊)、
三省堂現代国語辞典(1992年刊)がそうです。
「きめ細か」が今や「きめ細やか」にとってかわられつつあるのと似ています。
いずれにせよ、
他の例では、本来はAだが現在はBが慣用となっている。よって一概にBは間違いとか
Aが正しいとか言いにくいわけですが、
「鑑みる」の場合は、もう少し複雑なことになっているということでしょう。
いずれ、本稿を2011年1.30日の稿に付記しておこうと思います。
いずれにせよ、貴重なコメント、ありがとうございました。
興味深いコメントとご指摘、ありがとうございます。
実はあの記事を書いた後、念のためと思って調べたので、
古くは 「~を鑑みる」、「~と鑑みる」(小学館古語大辞典)、
「・・・生まれつきを鑑みて」(岩波古語辞典)という用例を
知り、ちょっと、この辺のことにも言及するべきだったな、と
思っていたのでした。その後失念。
ただ、ご指摘のように、明治以降くらい?からは「~に鑑み」となり、ずっと
それが続いて来たわけです。
この時点で、おかしなことになります。
「憧憬」は普通「どうけい」と読みますが、正しくは「しょうけい」と
固い国語辞典はしています。しかし「どうけい」は慣用として認めている
国語辞典もあります。
「~に鑑み」と「~を鑑み」は複雑骨折的状況のわけです。
そして、大胆に言えば20年くらい前から徐々に「~を鑑み」という
表現が広く使われるようになって来たように思われます。
ただ、こうなった理由は、本来、こちらが正しい用法だからではなく、
「鑑み」という古風でちょっと使うとかっこ良さそうな表現が、若者の目に
とまり、はやったということでしょう。
小学館古語辞典には「本来訓点語系の語と思われ、やや古い文章に用いられる
ことが多い。」(「かがみる」の項)とあるくらいで、団塊の世代くらいにとってさえ
もはや死語かよほどの人以外は、自身では使わなかった言葉だったと言っていいでしょう。
そういう言葉を若者が使い始めたわけです(麟子鳳雛などと同じ)。
今や、決算短信を読むと、数社に1社かと言いたくなるくらい「~を鑑み」 が出て来ます。
ネットで「鑑みる」を検索すると、「~に鑑みる」と「~を鑑みる」に関する
記述がたくさんあります。その大半は「~を鑑みる」は間違いというものです。
これなども、当の若者は良く知らずに使っているということの多少の裏付けに
なるでしょう。また、比較的最近出版の辞典でも「~を鑑みる」としているものは
かなりあります。手元にあるものではハイブリッド新辞林(1998年刊)、
三省堂現代国語辞典(1992年刊)がそうです。
「きめ細か」が今や「きめ細やか」にとってかわられつつあるのと似ています。
いずれにせよ、
他の例では、本来はAだが現在はBが慣用となっている。よって一概にBは間違いとか
Aが正しいとか言いにくいわけですが、
「鑑みる」の場合は、もう少し複雑なことになっているということでしょう。
いずれ、本稿を2011年1.30日の稿に付記しておこうと思います。
いずれにせよ、貴重なコメント、ありがとうございました。
2015/12/23 Wed 17:41 URL [ Edit ]
神楽
私は「鑑みる」の用法の変化が何に由来するものかまでは調べきれていませんが、「鑑みる」が必要とされる理由には心当たりがあります。
「参照する」の代用です。データ解析を伴う文書の場合、「実際に補正計算へ組み込む」のか「結果の解釈にのみ用いる」のか紛らわしいことがあります。よって私の周囲では、機械が比べるときは「参照する」、人が比べるときは「鑑みる」を使うようにしています。
「鑑みる」が鎌倉さんの目につくようになった時期と職場にPCが導入されたのは同じ頃ではありませんか?
「参照する」の代用です。データ解析を伴う文書の場合、「実際に補正計算へ組み込む」のか「結果の解釈にのみ用いる」のか紛らわしいことがあります。よって私の周囲では、機械が比べるときは「参照する」、人が比べるときは「鑑みる」を使うようにしています。
「鑑みる」が鎌倉さんの目につくようになった時期と職場にPCが導入されたのは同じ頃ではありませんか?
2015/12/27 Sun 15:11 URL [ Edit ]
鎌倉雄介
> 神楽 さん。
パソコンが普及し始めたとき、私はサラリーマンをやめ、晴耕雨読
だったので、何とも言えません。
まあ私として思うのは、「鑑みる」は死語だったのを若者(当時)が
復活させた、その時「~に」が「~を」に安易に変わった(具体的根拠に
欠けるわけですが)のではないかということです。
パソコンが普及し始めたとき、私はサラリーマンをやめ、晴耕雨読
だったので、何とも言えません。
まあ私として思うのは、「鑑みる」は死語だったのを若者(当時)が
復活させた、その時「~に」が「~を」に安易に変わった(具体的根拠に
欠けるわけですが)のではないかということです。
2015/12/28 Mon 17:57 URL [ Edit ]
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