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『逗子物語』は異色作家橘外男の代表作。この鬼気迫る迫力は、彼が幽霊の存在を固く信じていたからこそだろう。『蒲団』も読ませる。

『山月記』は学校教科書でおなじみだろう(最近は違うのかも)。作者の中島敦は漢学の素養豊かで、その文章の簡潔な美しさには感嘆させられる。宿あ(「シュクア」、「ア」が変換不能)の喘息を抱える敦は晩年、と言っても30代だが、病気には暖かいところが良いだろうと南洋庁に就職、パラオに赴く。これには彼が傾倒していた『宝島』や「ジキルとハイド』で知られる作家スティーブンスンの影響があった。『光と風と夢』はスティーブンスンをモデルとしている。

『凧』を書いた大下宇陀児は、乱歩は「情操派」に分類しているが、本人は「ロマンチック・リアリズム」を標榜した。

『補陀落渡海記』(井上靖)は、いわゆる補陀落信仰(補陀落浄土へ往生せんと僧が単身小舟で南の海へ船出する)を扱った作品。補陀落寺の住職金光坊は、いざ渡海の日が近づくにつれ心はちぢにに乱れる。以前、ミイラのことを書いたが、井上靖には『考える人』というミイラを扱った短編もある。

『かむなぎうた』。この作品をはじめ日影丈吉の作品には、独特の味わいがある。個人的な話で恐縮だが、私の中古で買った家には抗火石という石が使われている(前の持ち主=建築主の趣味。ブロックと間違える失礼な不動産屋もいた)のだが、最近、日影丈吉の『夕潮』を読んでいて、「裏山には・・・抗火石の採掘場がある・・・」、「世界で新島とシシリー島でしか採れないって石でしょ。」という記述を見つけた。

『黄色い吸血鬼』。戸川昌子の短編の代表作の一つ。戸川昌子といえば『大いなる幻影』だが、この作品は同潤会アパート(大塚女子アパート、1930年築)を舞台にしている。表参道の同潤会青山アパートが安藤忠雄の手により表参道ヒルズになり同潤会も少し有名になった。私は10年くらい前都心のどこかの現役同潤会アパートに迷い込んだことがあり、その雰囲気に今も酔っている。戸川昌子はもっと評価されていい作家だと思うが、ほとんど忘れ去られた感のあるのはさびしい。私の記憶では全集も出ていない。しかし、この『黄色い吸血鬼』は、エラリー・クイーンに絶賛された作品。

『胡桃園の蒼白き番人』。雑誌『新青年』の投稿者から同誌編集長となった水谷準の傑作。
追記=なんと水谷準も同潤会アパート(江戸川アパート)の住人だったという。

『猫町』。萩原朔太郎の作品だが、最近にわかに脚光を浴びた。というのは村上春樹が『1Q84』で「猫の町」という話を取り上げた(天吾がふかえりに読み聞かせるシーンがある)からである。『猫町』と『猫の町』。正しいかどうか分からないが、ネット上で、村上春樹は、朔太郎の作品とブラックウッドの作品(後述)の両方を念頭において書いているため、そういう表記にしたのではないかと書いている方がある。アルジャーノン・ブラックウッドと言えば、怪奇幻想小説の巨匠で1972年に紀田順一郎訳で『ブラックウッド傑作集』(創土社)が出ている。これにも収録されている「いにしえの魔術(Anciennt Sorceries) 」が猫の支配する町の話である。実は私は引越しでこの本を無くしショックを受けている。それはともかく、ブラックウッドと朔太郎、どちらが早いかと言うとブラックウッド。朔太郎はブラックウッドのを読んでいたと思われるふしがあり、『猫町』が「いにしえの魔術」の影響を強く受けていることは、まず疑いの余地がない。村上春樹は当然この紀田訳「いにしえの魔術」を読んでいよう。もちろん原書も読んでるかもしれないが。
話が、やや分かりにくい気がするので補足すると、「猫の町」と言えば、普通、朔太郎の『猫町』を想起するし、ブラックウッドを知っている人なら加えて必然的に、猫の支配する町=猫(の)町の話=「いにしえの魔術」をも想起するであろう、そして村上春樹は両作品とも読んでいるはずだということである。
それはそうと、『1Q84』、これはどうみても駄作ではなかろうか。朝日も日経も絶賛していたが、TVでタレントが各地の料理を何でもかんでもうまいうまいほめるのと同じことなのかと思ってしまった。村上春樹は高く評価するものだが、これは違うだろうと言いたいのである。
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