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2010.05.24
鎌倉雄介、ウォーミングアップ中
奇特な御仁の助けを借り、ブログを開設することができました。
とはいえ、ブログの運用等全くわからぬことだらけ、茫然自失状態です。
というわけで、本格スタートは8月くらいをと考えておりますが、かの宇宙人のような
無責任な約束ではなく、あくまで、わらわ個人の心づもり、希望と思われたし。
とりあえず、
鎌倉雄介のプロフィール
1947年新潟県長岡市生まれ
1971年早稲田大学政経学部経済学科卒業
同年、(株)平凡社入社 14年余にわたり百科事典の編集に従事。
一説に極度の偏食のため『太陽』編集部等への移籍が不可能のため、事典一筋の
希有な編集者人生を全うしたと言う。
その後、同社経営危機を受けての賃金3割引き下げで、マンションローン返済不能となり、
株の世界への転身を決意。たまたま読んでいた株式市場新聞の編集者募集広告を見て、
応募。合格。会社(市場新聞社)側は、出版分野での活躍を期待していたようだが、
株式の記者を希望し記者となる。月曜日初出社、木曜日より記事を書き始める。
その後、同社が子会社として市場新聞投資顧問を設立したのに伴い、初代社長に就任。
東京鉄鋼等の大ヒットで「当たり屋投資顧問」の評価を得る(「東京鉄鋼、ミネベア、井筒屋等
で連戦連勝の当り屋業界紙の投資顧問」と『オールチャート』1988年4月3日号にある)。
1988年秋以降は晴耕雨読の傍ら、『月刊現代』、『週刊SPA!』に連載、また『僕たちはこれで株の
プロになった』(嵐山光三郎編)、『鎌倉理論で株が見えた』、『4勝1敗の株』を出版。
バブル崩壊での下げで一敗地にまみれ、断崖に立たされる(先日花屋に寄ったら「断崖の女王」
なる迫力ある植物発見、身につまされ、これを求め現在栽培中)。
「すまじきものは宮仕え」という駿台時代の恩師の言葉脳裏よぎるも、しばらく塾、予備校の
国語講師で糊口を凌ぐ。
本人独白 一応これで曲がりなりにも、百科事典編集者、相場師、国語教師というやってみたい
三ジャンル制覇。
1990年代の終わりから徐々に、株式投資再開、鎌倉理論に磨きをかけ、かつてに優るとも劣らない
成果を上げている。現在は週日はデイトレーダー、週末は山梨県道志村で野良作業(主に野菜・果物作り
だがイノシシの襲来に成果は悲惨)、川遊びという生活。
私事ながら(これまでのも、よく考えれば、いや何も考えなくとも全部私事だったが)、
鎌倉雄介、2003年12月8日、午前5時心筋梗塞発症、胸の苦しみ覚えつつも、いつも通り、株式投資、
前場終了、なお痛み治まらず、よろよろと胸抑えつつ車をころがし近くの聖テレジア病院へ。
即心筋梗塞の診断で救急車で湘南鎌倉総合病院へ搬送、手術、辛くも一命を取り留める。
7時間も放置した咎で心臓の3分の1が壊死。しかし9日も病院の公衆電話より、株の注文発注
(信用買いの期日も次々到来するという状況下にあった)、以降、ときどき胸は痛むが、頭脳
冴えわたり株三昧という次第。
かくなる上は、多少なりとも、わが才能を世の恵まれない人、貧窮に苦しむ人、株式投資の
才なきを嘆く人の役に立てんと、このブログを立ち上げた(正確には立ち上げてもらった)という
わけである。
「これからは世間に恩返し」とか言いながら、しっかり金儲けをしている御仁が、よくおられる。
しかし、わらわは別に恩返しをするも何もないが、お金は何とかなっていることでもあり、
本当に無料で、しかも最新の情報というか推奨銘柄を提供していく所存です。
こういうサイトは、ほとんどないと思いますが、そういう意味では鎌倉雄介、普通の人間ではなく
一風変わった人間なれば、邪心なく、ただ上がる銘柄をお教えしたい一心でこのブログを運用
する所存。実績をチェックして、信頼に値すると思われたら、なにとぞご利用されたし。
とはいえ、ブログの運用等全くわからぬことだらけ、茫然自失状態です。
というわけで、本格スタートは8月くらいをと考えておりますが、かの宇宙人のような
無責任な約束ではなく、あくまで、わらわ個人の心づもり、希望と思われたし。
とりあえず、
鎌倉雄介のプロフィール
1947年新潟県長岡市生まれ
1971年早稲田大学政経学部経済学科卒業
同年、(株)平凡社入社 14年余にわたり百科事典の編集に従事。
一説に極度の偏食のため『太陽』編集部等への移籍が不可能のため、事典一筋の
希有な編集者人生を全うしたと言う。
その後、同社経営危機を受けての賃金3割引き下げで、マンションローン返済不能となり、
株の世界への転身を決意。たまたま読んでいた株式市場新聞の編集者募集広告を見て、
応募。合格。会社(市場新聞社)側は、出版分野での活躍を期待していたようだが、
株式の記者を希望し記者となる。月曜日初出社、木曜日より記事を書き始める。
その後、同社が子会社として市場新聞投資顧問を設立したのに伴い、初代社長に就任。
東京鉄鋼等の大ヒットで「当たり屋投資顧問」の評価を得る(「東京鉄鋼、ミネベア、井筒屋等
で連戦連勝の当り屋業界紙の投資顧問」と『オールチャート』1988年4月3日号にある)。
1988年秋以降は晴耕雨読の傍ら、『月刊現代』、『週刊SPA!』に連載、また『僕たちはこれで株の
プロになった』(嵐山光三郎編)、『鎌倉理論で株が見えた』、『4勝1敗の株』を出版。
バブル崩壊での下げで一敗地にまみれ、断崖に立たされる(先日花屋に寄ったら「断崖の女王」
なる迫力ある植物発見、身につまされ、これを求め現在栽培中)。
「すまじきものは宮仕え」という駿台時代の恩師の言葉脳裏よぎるも、しばらく塾、予備校の
国語講師で糊口を凌ぐ。
本人独白 一応これで曲がりなりにも、百科事典編集者、相場師、国語教師というやってみたい
三ジャンル制覇。
1990年代の終わりから徐々に、株式投資再開、鎌倉理論に磨きをかけ、かつてに優るとも劣らない
成果を上げている。現在は週日はデイトレーダー、週末は山梨県道志村で野良作業(主に野菜・果物作り
だがイノシシの襲来に成果は悲惨)、川遊びという生活。
私事ながら(これまでのも、よく考えれば、いや何も考えなくとも全部私事だったが)、
鎌倉雄介、2003年12月8日、午前5時心筋梗塞発症、胸の苦しみ覚えつつも、いつも通り、株式投資、
前場終了、なお痛み治まらず、よろよろと胸抑えつつ車をころがし近くの聖テレジア病院へ。
即心筋梗塞の診断で救急車で湘南鎌倉総合病院へ搬送、手術、辛くも一命を取り留める。
7時間も放置した咎で心臓の3分の1が壊死。しかし9日も病院の公衆電話より、株の注文発注
(信用買いの期日も次々到来するという状況下にあった)、以降、ときどき胸は痛むが、頭脳
冴えわたり株三昧という次第。
かくなる上は、多少なりとも、わが才能を世の恵まれない人、貧窮に苦しむ人、株式投資の
才なきを嘆く人の役に立てんと、このブログを立ち上げた(正確には立ち上げてもらった)という
わけである。
「これからは世間に恩返し」とか言いながら、しっかり金儲けをしている御仁が、よくおられる。
しかし、わらわは別に恩返しをするも何もないが、お金は何とかなっていることでもあり、
本当に無料で、しかも最新の情報というか推奨銘柄を提供していく所存です。
こういうサイトは、ほとんどないと思いますが、そういう意味では鎌倉雄介、普通の人間ではなく
一風変わった人間なれば、邪心なく、ただ上がる銘柄をお教えしたい一心でこのブログを運用
する所存。実績をチェックして、信頼に値すると思われたら、なにとぞご利用されたし。
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