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新型コロナの日本の状況が、ややまずいことになりかねない雰囲気だ。
安倍首相は気力減退気味なのか官邸に入る際の歩く速度がのろくなっているという。小池都知事も感染防止徹底宣言ステッカーを掲示した店でクラスターが発生しても「ただ貼ればいいという事業者がいないとは限らない」と、本性露呈のコメントを出すなど、知事選が終わればやる気なしの雰囲気だ。

今、コロナは、世界的になお猛威をふるっているわけだが、実は、日本のマスコミが、トータルな全体像を、分かりやすく伝える責務を果たしていないので分かりにくいが、大きな変化が起きているようだ。
つまり、今、猛威にさらされているのはアフリカや南米各国に多く、先進国で対策がしっかりしているところでは、かなり沈静化しているようなのである。
アメリカはトランプ大統領支持の知事の州(南部や西部に多い)では感染拡大傾向のところが多いようだが、ニューヨーク市や同州はかなり沈静化している。ヨーロッパでもイタリアなどはかなり沈静化、ここに来てはイギリスがPCR検査を広く実施する(無症状者も検査)などの効果で急速に抑え込みに成功している。このため、最近、フランスからの入国を制限するなど様変わりの状況だ。そのフランスは、一時は急速に感染者が減ったのだが、経済活動等の緩和で、またぶり返し気味になっていて、今回のイギリスの措置につながったわけである。カナダやニュージーランドもうまくいっている。

日本の場合、やることなすこと、後手後手、まっとうな対策、時宜にかなった対策はほとんどとられなかったにも関わらず、意外に最初の頃は、状況が悪化しなかった(BCG効果か何か確たることは言えないが、そうした僥倖があったためであろう)ため、「これでいいのだ」的雰囲気が、政府等に蔓延、、ここに来ては、政策の逆噴射(感染者が増加を見せ始めたタイミングで緊急事態宣言解除、さらに最近ではまたさらに事態が悪化しそうなタイミングでGo To トラベル事業に乗り出すなど)も続き、感染者が全国的に拡大、死者数も増加傾向が顕著になりだすなど、完全にコロナ対策に失敗した国に入りつつある。

世界の趨勢を見るに、結局
①徹底的にPCR検査を行い、感染者を隔離する。
①´感染者隔離等の対策では、日本のように全国一律ではなく、細かく地域の状況に応じたものにする。
②経済との両立のためには、感染状況を迅速に把握、ブレーキ、アクセルの使い方を適切にする。

こうしたことを行うことが、成功の秘訣のように思われる。
①´について補足すると、例えば、今、日本で問題が深刻化しているのは、ほとんど大都市部だけである。
「東京由来」という言葉が、最近よく使われたが、そんなことを言っていられたのも、数日だけで、すぐに「大阪由来」、「神奈川由来」等々出てきているわけで、いかに対策が後手に回っているかだろう。
巨大都市圏や沖縄(米軍人の行動も深刻化の原因の一つではと疑われるが、これはタブーなのかほとんど報道されない))等のホットスポット化しているところと、ほとんど、大きな問題になっていないところ(東北6県、またこれらを除いた本州の日本海側の各県=ただし京都、兵庫などの太平洋と接するなどのところは除く、四国の大半の県など)とを一緒くたにした政策は、見直すべきである。また東京の場合でも、区部とそれ以外、区部でも新宿区と例えば練馬区とでは区別して考えるべきだろう。

以上のようなことを踏まえて、具体的にどうしたらいいのかを考察する。
①PCR検査体制を、早急に時期を明確にして、各地域の特性も考慮して、大幅に拡充する。
やみくもに誰でも受けられるようにする必要はないが、多少なりと懸念のある症状の人、状況等から心配な人等は、医師の紹介がなくとも、保健所経由でなくても、簡単に受けられるようにする。無症状者からの感染が4割とも言われる中、無症状者でも状況に応じて積極的に検査する。費用もある程度の条件さえ満たせば無料にする。

②経済活動活性化のためには、人々が、外出し買い物や飲食等を、ある程度、安心してできるような状況に持っていくことが必須だ。このための①でもあるわけだが、地域に応じて、国や都道府県が、行動指針的なものを打ち出すことが求められる。
例えば、「県をまたぐ移動」の自粛がよく言われるが、これはナンセンスだ。岩手県から青森県への移動、あるいは香川県から徳島県への移動を制限する意味がないのは自明だろう。どちらの県もコロナ感染は深刻化しておらず感染状況等も大差ないからである。善玉・悪玉で言えば、善玉に悪玉が来るのは困るが善玉に善玉が来るのは問題ないのである。悪玉同士はどうしたらいいか?EU各国(感染初期を念頭に書いている)の移動制限が原則なしなのは、この観点から考えると理解できよう。
感染者数や死者数が圧倒的に少なく、趨勢を見ても危険な兆候のない県や地域では、むしろ、もう少し積極的に安心をアピール、対策を積極的にとったうえで、平常の生活に近付くことを提案したほうがよい。もちろん、少しでも悪化の兆候が出たらブレーキも迅速に踏むのである。
逆に東京、大阪、神奈川、福岡等におけるホットスポット的な場所では、一段と厳しい対策をとる必要があるだろう。

8月15日 23時35分記
都知事選の前、私は当ブログで、「山本太郎氏への公開質問状」という記事を書こうかと、それなりにまじめに思い悩んだことがある。
山本太郎(敬称略、以下同)宛てにしたのは、彼を支持しているとかではなく、天皇への直訴状を出したくらいの方だから、何らかの反応くらいはしてくれるかもと考えたからである。
何を質問しようとしたかと言うと、小池候補(当時)の学歴詐称問題をなぜあなたともあろう人が選挙戦で訴えないのかということである。
しかし、情勢を見るに小池候補人気は圧倒的で、今(その当時)何をやったところで無駄玉になるだけなのは明々白々なのでやめた。そして予想どおり都知事選では小池候補が圧勝した。

小池百合子という人物は、調べれば調べるほど虚飾にまみれた人間で、こういう人が都知事という職にあって、さらには首相の座も目指していると思われるとなれば、これを黙って見過ごしているのは、どう考えても、やはりいけない。
石井妙子(『女帝』の著者)、黒木亮をはじめ、小池の「噓」を、膨大な時間を費やして暴き、世に問うているまじめな方がいる。にも拘わらず、世の中に、こうした方たちが暴いた小池の「噓」に全く気付いていない方の方が圧倒的に多い。だからこそ、あの都知事選の投票結果になったわけであろう。

そういう状況なので、私が蟷螂の斧かもしれないが、ここに一文を草し、世に真実を知らしめようと思ったわけである。
私は大局観を重視する人間で、逆に些末なことにはこだわらないので、細かなことを重箱の隅をつつくように調べ尽くすといったことは苦手であり嫌いでもある。

今回、石井、黒木その他の方々の書いたものを、かなり読んで、また、テレビ等で小池が発した言葉を想起したりした。その結果、小池の正体について不遜ながら小生ほどよく知っているものはいないと言ったら言い過ぎだが、大局観を持って小池の噓を一般の人々に伝えうる人物としては小生は最も適任な人物の少なくとも一人という思いを持つに至った。
そこで、ここでは石井、黒木にもできなかったこと、簡略に小池の化けの皮を剥ぐという難事業に挑もうというわけである。

『女帝』を何人かの人に読んでもらうと、異口同音に「小池」の噓のひどさに驚愕する。みんなそれまでは小池シンパかどうかはともかく、小池がそういう人物だなどとは露思っていなかった方である。だから、全国民が『女帝』を読めば、それで事足れりとも言えるのだが、同書は今日の文春の広告でも20万部突破どまりである。1億2000万余人は読んでいないわけである。

【ショーンKを都知事に戴いていていいのか】
詳細に正確に書こうとすると、結局、石井、黒木の書いた物等を熟読されたいになりかねないので、そうした愚は犯さず「神は細部に宿る」戦法で行こうと思う。
これは噓か真か、良い悪いを見抜こうというとき、細かい具体的事象から判断する手法である。
分かりやすい例を挙げると、国語辞典を選ぶとき、あるいは百科事典を選ぶとき、国語辞典なら「男」、百科事典なら「PER(株価収益率)」といった言葉を引いてみて、そのそれぞれの辞事典の書きぶりを比較するのである。そうすれば、その辞事典の出来の良し悪しが比較的簡単にかなりよく分かる。

小池の場合、「カイロ大学首席卒業」が最も好例である。
注=カイロ大学卒業の方は、問題がある意味複雑なのでダメなのである。ただほとんど知識のない方のため、これについても簡単に触れておこう。
カイロ大卒業疑惑をめぐってはカイロ大が6.08日に「小池氏が1976年に卒業したことを証明する」という声明を出した。これで納得した純朴と言うか疑うことを知らない人がいっぱいのようだ。しかし石井、黒木等の調査、カイロ大が怪しげな卒業証書を出すなどしても不思議でないような大学であることからして、同大の声明にたいした意味はないとだけ言っておこう。
結論だけ言えば小池はコネでカイロ大2年に編入、情実で同大を卒業した(ことにしてもらった)のが事実と思われる。
注=黒木が次のように書いている。
エジプトは、「腐敗認識指数」で世界180ヶ国中105位(ランキングが低いほど腐敗度が高い)という汚職や不正が横行する国である。大学の卒業証書など、カネとコネでなんとでもなる。このことは、カイロ大学の学長も2015年にテレビで認めている。

さて「カイロ大学首席卒業」に戻ろう。
私が小池という人に強い疑念を抱くようになったきっかけがこの件である。ワールドビジネスサテライト(テレビ東京の23時からのニュース番組)時代から、多少の疑念は抱いていたが、「首席卒業」でさらに強い疑念を抱くようになったのである。
森喜朗と小池がテレビに出ていた時、森が小池について、この人はカイロ大を首席で卒業・・・と発言、それに小池が照れたように卒業生(同級生とか同期性とかだったかもしれない)2人ですけどねといった趣旨の発言をした。この時のことを私は今でも鮮明に記憶している。

その後、今回、都知事選に絡み再び学歴詐称疑惑が浮上する中、舛添要一も参戦してきた。彼は大学が1個人に関し卒業を証明することなどありえないとし、そのうさん臭さを指摘しているが、ここで取り上げるのはそういうことではなく、舛添は小池が「首席で卒業したというのは、学生が1人だったからなの」と説明した、自分は40年近く騙されてきたと怒りを込めて書いていることである。
別に3人というのもあったように思うが今確認できない。要するに、首席卒業を売りにデビューしたが、自身これはやばいと思い学生が1人だの2人だのと言ってごまかそうとしたわけである。
なおカイロ大文学部社会学科の卒業生は100人とか150人くらいのようである(黒木がどこかで書いていたと記憶するが出典はやや怪しい)いずれにせよかなりの数なのである。現在の学生総数は20万人とも言われる超マンモス大学なのである。

いろいろ追及を受ける中、小池は首席発言を事実上撤回している。
その後、言い訳に使い出したのが、以下のことである。ここが面白いというか、小池の詭弁師の面目躍如たるところであり、私の独自の研究成果なので、よくお読みいただきたい。
教授(か誰か)にあなたの成績は「グッド」だったと言われた。
グッド、良い、すごく良いと話を盛って行って、ついに首席にしてしまったというような言い訳である。
大体、いろいろ調べても、この程度の話になるわけだが、もう少し探求を進める。
そうすると、同大の成績評価は4段階評価で(本当はアラビア語で書くべきなのだが、やむなく英語で書く)
次のようになっている。上から
エクセレント
ベリーグッド
グッド
アクセタブル
(ここまでが合格ライン)
(以下の場合は落第で留年。)
ウィーク
ベリーウィーク

要するに「グッド」)は日本人が「グッド」と聞いて感じる語感=「良い」とはかなり違う。
古い話で恐縮だが、私の大学時代の成績表は



不可
の4段階評価だった。
これでも良はそうほめられたものではないが、それでも4段階中の2番目、合格ラインの3段階中でも2番目だから、まあまあとは言えよう。
しかし小池の「グッド」は6段階中の3番目、合格ラインの4段階中では3番目だから、日本の良以下である。
グッドと言えば聞こえはいいが日本の良かそれ以下でしたでは、自慢どころか、小声でしか言えない評価なのである。もちろん、この話自体が疑問だらけのわけだが、ここでは触れない。

このほか、とにかく、小池の話はいい加減なわけだが、数字が絡むと、特にでたらめ、自分に都合よく歪曲するのである。コロナ感染者数もそうだが、ここは別の分かりやすい話を述べよう。

日本人初のカイロ大卒業生で、小池もよく知っている方で小笠原良治という方がいる。大東文化大名誉教授である。
小池は小笠原さえ10年かかってカイロ大を卒業しているが自分は4年で卒業したと言っている。
ところが、これも調べると小笠原は7年で卒業しているのだ。人のことは下方修正、自分のことは上方修正である。
蛇足ながら、こういう話もある。小池がカイロ時代に同居していた女性(石井に小池に関する資料一切を託した人)と一部屋に住むことになった時、順序は忘れたがともかく寒い時には日当たりがいい方を取り暑くなったら交換を申し入れるわけである(『女帝』)。
本当に調べれば調べるほど、小池の言行は、汚い言葉についなりそうだが、でたらめ、ごまかし、ご都合主義に満ち満ちているのである。

さらに付け加えると、平気で噓をつくということにも驚かされる。
多少はそういう傾向もある、くらいなら許せるが、そんなレベルではなく、追い込まれると、平然と噓が出るようなのである。
誰でも検証できる分かりやすい話を示そう。
4年前の都知事選、小池は鳥越俊太郎候補に対し「この人なら勝てると言って、政策も何もない、病み上がりの人をただ連れてくればいいというものではないんです。」と街頭演説で言っていた(7.17日秋葉原駅前)。ところが鳥越にガンサバイバーへの差別・偏見だと詰め寄られても、「言ってないです、記憶にないですね。」と笑って否定した。『女帝』では、「言ってないです」と言われた鳥越の方がかえって取り乱したと書いている。可哀そうな鳥越さん(これは鎌倉雄介個人の感想です)。

日本のマスコミは、新聞、テレビ等、ほとんどが小池の息がかかっているようで、小池に不利な情報は遮断、ために小池の噓は隠蔽されたままになっている。
田中角栄の場合、立花隆が『文芸春秋』で「田中角栄研究~その金脈と人脈」を発表、田中逮捕につながるわけだが、小池の場合、文春(田中の場合月刊誌、小池は週刊誌)で追及されたところまでは同じだが、その後の展開は、まるで違う。

【権力におもねるマスコミ】
私が当ブログではあまり歓迎されそうにないテーマである本稿を書こうとしたのは、大半の日本人が小池の噓に騙され、ショーンKと選ぶところがない人物を都知事に戴いていていいのかという危機感からだが、これ以上に今の日本が忖度、隠蔽まみれで報道されるべき事実が巧妙にネグレクトされていることへの危機感からである。

小池の学歴詐称疑惑は単に学歴の問題ではない。学歴なんか問題ではないという反論がすぐ出てくるが、問題は学歴ではなく、平気で嘘をつく人間性、弱者への思いやりなどどこにも無く自分ファーストの人柄が問題なのである。もちろん、政策遂行能力も大いに問題なわけだが、ここでは論じない。
ところが日本のマスコミは大新聞、テレビ等、ほとんど小池の学歴詐称問題について報道しようとしない。それでいてカイロ大の疑惑否定発言は喜々として報道する。大新聞、テレビ等は朝堂院大覚の言う小池の肉弾攻撃に轟沈させられたのだろうか。それでもこうしたところは、いろいろなつながりで小池の息がかかっていて逆らえないのかとも思うが、日本共産党、LITERA(私もよくは知らないがかなり左寄り・反安倍色の強いニュースサイト)、山本太郎なども、私の知る限り小池の学歴詐称問題を取り上げない。
田中角栄の時は立花隆の指摘に対し、そんなことは知っていたと言いながらも、追随報道したわけだが、今回も小池に関し石井の書いたようなことは(少なくともかなりの部分)知っていたはずである。それでも追随せず無視を貫いているわけである。

もう一つ、同様の事例がある。
伊藤詩織強姦事件もそうだが、もっと分かりやすい事件がある。
2019年4.30日に行われた「退位礼正殿の儀」での安倍首相の「国民代表の辞」でのとんでもない発言である。驚天動地と言うか、こんな方を首相に戴いていていいのかと絶句したくなる事件だが、これもほぼ黙殺され今に至っている。
「天皇、皇后両陛下の末永くお健やかであらせられますことを願っていません。」と言ったのである。
紙を取り出して文書を読んだわけだが、もちろん、こんな風に書かれていたはずがなく、「願って」の後の逡巡からしても「願って已みません。」を誤読したと推測される。
これも単に麻生に代表される国語力不足の問題にとどまらない重要な問題をはらむ。
①大事な式典なのに下読みもせずに臨んだのか。
②「已みません」が読めなくとも「願ってや(止、已)まない」という慣用表現さえ知っていればなんとかなったはず。
③上記の慣用表現も知らなかったとしても「願っております」とかなんとか言いつくろうこともできただろうに。
話が興奮のあまりつい枝葉末節の方に行ってしまった。
ここで重要なのは、この大問題をほとんどのマスコミが報道しなかったということである。読者諸氏でも大半の方が初耳なのではないか。
麻生の「みぞうゆう(未曾有)事件」の時はあれだけ騒いだのに、安倍の「でんでん事件」(参院本会議で「訂正云々という指摘」を「訂正でんでんという指摘」と発言)は報道したかどうか程度の扱い、、そしてその後の「願っていません事件」では完全に黙殺したわけである。

我々はこうした頼りないマスコミのもと、日々を生きている。
気骨のある言論人はいないのか。

7月18日 23時45分記





新年おめでとうございます。
本年もよろしくお願い申しあげます。(遅ればせながら)

6日の大発会を前に、書くことをいろいろ考えてきたわけだが、ゴーン逃亡はともかく、ここにきてアメリカ軍によるイラン革命防衛隊のソレイマニ司令官の殺害という大変な事件が起きた。
株式投資的には、全てをご破算にして、新たに考え直さなくてはならない。

少し時間をおいて、じっくり考えることとし、ここでは、株を離れたことを気軽に書くとしよう。

地球温暖化で、スウェーデンの怒れる少女グレタが脚光を浴びる一方、日本の「セクシー」シンジローも一躍、国際的な時の人になった。それはともかく、今冬も異常な暖冬だ。
昨年末、生家の長岡から電話があった時、雪はどんなかと聞いたら、住職(甥っ子)は雪は全くなしとのこと。それでも囲い(雪おろしの雪の溜まる部分に面した家屋の前部分を板の仮設の塀でぐるりと囲うもの)はとっくにお設置済みとのこと。少雪続きとはいえ、いつ大雪になるか知れず、準備は怠れないのである。

鎌倉の我が家の庭を見渡しても、暖冬異変を感じさせるものを見つけるのは簡単だ。
シャクヤクは、もう根元から赤い新芽が見せている。ボタンもとっくに枝に赤い芽を目立たせている。
梅は白梅も紅梅もつぼみをいっぱい付け、日々膨らませている。この分では早ければあと10日くらいで遅くも20日足らずで開花となりそうだ。

クリスマスローズの手入れ(古い葉を切除)をしていたら、つぼみを一つ発見した。クリスマスには間に合わなかったわけだが、これは開花が遅れているわけではない。
クリスマスローズというのは、本来クリスマスの頃開花するヘレボルス・ニゲル だけを指した呼称のわけだが、日本の園芸店等では、ヘレボルス・オリエンタリス等なども「クリスマスローズ」の名前で売っている。だから大半のクリスマスローズはクリスマスには咲かないのである。

話が横道にそれて行くが、日本では園芸市場で、売るために名前を勝手に変造するのは常とう手段だ。
シネラリア(cineraria)は、「死ね」では困るとサイネリアに変えられているが、こうした例はかなりあったと記憶するが、今思い出せない。
最近はやっていると感じるのは、キラキラネームではないが、どうしたら売れるかを第一に考えて勝手に付けたのではと思われる名前だ。

「断崖の女王」(「シンニンギア」、「レウコトリカ」、「ブラジリアンエーデルワイス」、「子犬の耳」等とも)
「アンデスの乙女」(和名ハナセンナ)
「ブルースター」(「フレボディム・オーレウム・ブルースター」)(シダ植物)
注=普通は「ブルースター」と言った場合、別名「オキシペタルム」というつる性多年草ないし亜低木を指すことが多いようだ。

ここに挙げた3種は、私がこの10年以内に買い求めたげたものばかりだが、私自身、こうした名前につられた部分もありそうで、園芸業者の狙いはすばらしかったとも言えそうだ。また、これ以外にもこうした命名はかなりありそうだ。
というわけで、植物の名前を覚えるのも、最近は至難の業だ。
NSD、NSW、NSユナイテッド等、最近は業務内容等も含め覚えにくい社名が多くて難渋するが、園芸の世界も同様なわけである。

「お年玉銘柄」も含め、予定が狂ってしまっている。外部環境の激変に鑑み、ご容赦を。
相場に関しては、遅くも5日の夜には書く予定です。

1月04日 20時58分記

台風10号は一体何だったのか。
命を守る行動を!
来てからでは遅い、早め早めの避難を!
と、気象庁やテレビは叫んでいたが、現実の被害はと言うと、少なくとも、ここまででこれはというものはほとんどないのではないか(死者1名、けが人33人)。それでもなお避難指示や避難勧告が出ているところはまだある。
21時00分現在では、すでに中国地方を通過、日本海上に抜けているわけだが、それでも「まだまだ警戒を怠れない」とか「中心から離れても大雨をもたらすから」と、不安をあおるような言葉を続けている。気象庁が記者会見までして厳戒を呼び掛けたほどのものではなかったのではないかという反省は全くないのだろうか。

空振りでもいいから注意喚起は重要というのが、当事者の意識のようだが、私が疑問を抱くのは、最近数年の大きな被害をもたらした自然災害を思い起こすと、そのほとんどが、今回のような極度の警戒を呼びかけたものではなく、ほとんど無警戒な時に起きるということである。

詳しく細かい情報をもとに書いているわけではないので、残念ながら、具体的なことが書けない。
そこで次のことだけを提言しておきたい。

台風情報において、テレビ、ラジオは、気圧について、現行のような、最新の数字だけを出すだけのでなく、併せて直前の数字も表示し、推移・傾向を視聴者が見られるように改めるということである。
気圧 985HP
というふうに、今はなっているが、それを以下のようにするのである。
①案=気圧 985HP(970HP)
②案=気圧 970気圧→985気圧

このようにすれば、ああ気圧が上がっている=台風の勢力は弱まっているなと分かる。
今回の台風10号など、本土上陸の前は965HPだったが、テレビでは気象予報士の方が、「今後勢力を強めて」と繰り返していたが、その後、いつ見ても965HPは変わらず、そして今日になって先ほどみたら、いつの間に978HPにまでアップ(勢力を弱めた)しているではないか。
野球の中継ではないんだから、いつまでも「まだまだ分かりませんよ」などと言い続けていないで、「かなり勢力を弱めましたね」とか、言ったらどうだと言いたいわけである。
こんなことが言える豪胆な方はいないだろうから、それならせめて、上記のように、気圧の変化をテレビ画面(ラジオの音声)で明示するようにしては、という提案である。

株価表示の手法として「4本値」というのがある。
始値 高値 安値 終値
という4つの株価を、この順に示すものである。
もちろん日足、分足などのチャートもある。
台風の気圧もこうした工夫に学び、例えば折れ線グラフで示し、一体、なお勢力拡大中なのか、峠は越えたのか等が一目で分かる表示方法にしてもらいたいものだ。
食事をしてニュースを見ていたらまた2HPアップして980HPになっているではないか。
それでも、やれ土砂崩れがとか言って警戒は怠れないと強調、気圧がいつの間に980HPにまで上がったことには、決して触れない。困ったものである。

8月15日 22時42分記

お詫び=パソコンのキーボードが酷使のため、Y、E等、打ちにくくなり、誤植大量発生の原因となっています。
気象庁と打ったはずが気相当になったり(Yを入れると正解に)します。この辺を頭においておかしなところは修正いただければと存じます。
高齢者のアクセルとブレーキの踏み間違えによる重大事故の多発を受け、その防止をめぐって、議論が活発になっている。
両足運転(右足でアクセル、左足でブレーキ)にすればいいという意見は、相変わらず出てくるが、これまた相変わらず否定派が多く、ほとんど顧みられず、葬り去られようとしている。
両足運転派の私としては、こうした現状にイライラが募るばかりで、あえて、これを書いている。
考えれば考えるほど、両足運転優位は確実と思え、また両足運転は全運転者に福音となると思うからである。

細かいことを書くと切りがないので、以下、些末と思えること(片足運転派からのいちゃもんとしか思えないような両足運転批判)
は省き、重要ではっきりしていることに絞って書くとしよう。
なお、私は何十年来、両足運転であり、周辺には私を含め5人の両足運転者がいる。この5人はそろって両足運転礼賛者であり、また、そのマスターもごくごく簡単だったと言っていることを書いておこう。

【両足運転(左足ブレーキ)の利点】

①アクセルとブレーキを踏み間違えることはまずない。
アクセルとブレーキを同時に踏んでしまう恐れがあるんではという意見があるようだ。そんな事は、私や周りの人はしたことがないので答えようもないが、万一そうしてもブレーキが利くので車は止まるらしいので、少なくとも片足運転よりはるかにいい。

②とっさの時に即座にブレーキを踏めるので、片足運転に比べ事故を防げる可能性が高まる。
左足は常に、ブレーキペダルの上または近くのフットレストにあるのだから、左足は盲腸のように無用の長物として遊んでいて右足はアクセルペダルの上にある片足運転より早くブレーキを踏めるのは、論を待たない。

③運転が非常に楽になり、ストレスが大幅に減る。
いつでもすぐブレーキを踏めるという安心感・自信が持てるので、精神的に楽なのである。また渋滞時等は片足運転に比べ物理的に楽である。

④ギアが思っていたのと違って入っていた時でも、ほとんど問題ない。
車によってギアの切り替え方法が全く違うが、私など、今の車は右手でハンドルの根本辺近くから出ている細長い棒を下げたり上げたりしてギアチェンジするのだが、時たま前進しようとするのにバックに入れてしまったりする。
急発進・急バックはしない癖をつけていることでもあり、こういうときでも、すぐブレーキをかければいいので、ほとんど問題ない。まあ車が10センチ以内動く間にブレーキがかけられ停止できるのである

⑤これは④で書いたことに通じるのだが、万一、ブレーキとアクセルの踏み間違いをやってしっまったとしても、報道される事故のように、猛スピードで走って重大事故を起こすというようなことになる可能性は非常に小さい。すぐにブレーキを踏める可能性が大きいからである。

【片足運転派の言い分の間違い】

両足運転是か非か議論に関して書いている両足運転派の人は、片足運転も経験済みの人と見てまず間違いない。
ところが片足運転派の人の場合、その主張・意見を読んでいると、これは恐らく両足運転を全くやったことがない(その論は机上の空論の可能性大ということになる)か、少しやってみたが完全マスターする前に何らかの理由でやめたかの、どちらかがほとんどと思われる。

その根拠を示そう。
両足運転だと、ブレーキペダルにいつも足を置いているのでやたらとブレーキランプを点滅させることになる。だから迷惑だ、過剰使用でブレーキの利きが悪くなり危険 というのは片足運転派の一番主張するくらいの論である。
例=ブレーキペダルの上に足をおいてる場合、ちょっとでもブレーキペダルに触れればブレーキランプが点灯するため,自分では踏んでいる意識がなくても後続車の危険を誘発する恐れがある。

私は、そんなことはない(足をブレーキペダルの上に置いていてもブレーキランプが点滅したりしないだろう)と思いつつも、確認はしていなかったのだが、最近買い替えた車にはブレーキを踏むと後方で上部にも赤いランプがつくものになり、簡単にブレーキが踏まれたかが分かるようになったので、はっきりした。私にしろ、同じく両足運転の妻にしろ、ブレーキランプが意図せずに点くことなど皆無なのである。ブレーキペダルには遊びがあるから、よほど不慣れな方が慢性的に強く踏んでいるのでもない限り、起こりえないことがはっきりしたわけである。

このほか、自動車教習所でそう教えるのだからとか、世界各国がほとんどそうなのだからとか、ブレーキペダルの位置が左足操作用になってない(だから腰痛を誘発する)とか、書きだすときりがなく、そのほとんど(もしかしたら全部)が空理空論なわけだが、一応、簡単に反論を書いておこう。

自動車教習所の場合、教習員自体が両足運転ができない人がほとんどのはずだから、突如、両足運転を教えるとか、どちらでもいいからと指導するとなると、パニックを起こす。格別、根拠があって片足運転優位を説いているわけではあるまい。
世界各国の事情に精通して、これに関して書いているのを見たことがないので確たることは言えないが、以下のことは言える。
少なくとも、アメリカではそれなりの人が両足運転をしているようだ。アメリカには日本の自動車教習所のようなものがなく(教えてくれるところが全くないわけではない)、各自、運転免許所有者から運転を始動するなどしてもらい、簡単な試験で免許が取得できるので、また日本人のような過度の遵法精神もないので、いろんなやり方を各自やっているということだろう。
私の知っている人で、アメリカ暮らしが何年かある方で、両足運転の方が2人いる。この2人とも、アメリカ暮らしの中で両足運転になったのである。
私は30年以上両足運転をしているが、それが原因の腰痛など経験していないし、周りの両足運転の人にもそういう事例はない。

以上のようなわけで、両足運転のメリットは絶大であり、本稿を読まれた片足運転の方は、ぜひとも、両足運転にチャレンジしていただきたいものである。
どうして両足運転へのハードルがかくも高い(私が勧めてもやってみた方はほとんどいない)のか疑問だが、実際やってみれば分かるが、こんな簡単なことはないと思えるくらい簡単である。長年の修練などと書いてあるのを見て笑ってしまったが、とんでもない誤解である。細かいことは覚えていないので、やや雑な書き方になるのはお許し願うが、1日でマスター(もしかしたら1時間以内)できると言っても過言ではないかと思えるくらい簡単なことである。
とりあえずは車庫入れの時にやってみるといいだろう。細かい動きが可能で感動されるだろう。
そのあと、もう少し広いところでとなるが、例えばスーパーなどの駐車場で空きの目立つ時間帯に練習するとか、朝方、通行のほとんどない広い道でとかでやってみるといいだろう。
というか、そんな大仰なものではなく、あっと言う間にマスターできる。
そして、マスターした人で、その後片足運転に戻った人は皆無と言っていいのではというくらい、そのメリットに感動するはずである。

マルクス経済学は、経済理論としては完全に間違っていたわけだが、長らく命脈を保ち、間違いが認定されたのは、比較的最近である。片足運転というのも、マルクス経済学と同じく、馬鹿らしいやり方、マニュアル車時代の遺物だったと、人々が分かるようになるのはいつのことだろうか。その前に自動運転になってしまうかと思うと暗然たる思いがする。

7月06日 19時05分記






昨日、一昨日とヤマモモなどの剪定をしたら、体の節々が痛く困ったものだ。
少し片付けものをしていて、目に入ったのが茶色い封書。ほとんど読まず、あとでゆっくり読もうと思っていたものだ。差出人の名前もないちょっとおかしな郵便物だが、確か「ガラガラドン」の坂上さんからのものである。

読んで捨てよう(失礼)と思い、読み始めたら(いろいろな書類が計8枚も入っていて、全容がすぐには分からなかったのである。)話は深刻である。なんと運営難で危機に瀕しているというのだ。しかも私が長く、気にしながら放置していたため、この会報等の発行日は5.20日と4ヵ月も前である。
放置してSOSに気付かなかった懺悔の気持ちも込めて、今、これを書いている。

坂上さん(坂上和子氏)は「NPO法人 病気の子ども支援ネット 遊びのボランティア」(通称ガラガラドン)理事長で、28年前から、入院時の子供の支援等に献身的に取り組んでこられた方である。
スタート時は入院児の遊びが主な役割だったが2010年「ハウスグランマ」を開設、退院後も視野に入れた支援を開始、さらに18年には「お母さん食堂」も開始した。こういう事務局だよりを読んで、順調に活動の幅を広げて頑張っておられるなあと喜んでいたら、一気に話は暗転。
2017年収支決算が掲載されていて、収入395万円、支出700万円とある。おいおい、どうするんだ!と思ったら
「この拠点(病院近くのボランティアの活動拠点)も財政難でまもなく閉じなければなりません。大切なこの拠点を私たちはなんとか守りたいと思っています。どうか皆さん、私たちに知恵と力を貸してください。」(坂上氏)とある。
さらに会計担当の方の以下の文章もあった。
「現在NPOの運営はたいへん苦しく、このままでは1年後につぶれます。(中略)どうか皆さんご支援ください。」

私は坂上さんとは面識もなく、単なる1支援者に過ぎないが、坂上さんが、無私の精神で、この活動に長きにわたって取り組んでこられたことはよく知っている。こんなことを書いてはどうかとも思うが、、ある意味ではおそらくは自らの生活も犠牲にして、28年もの長きにわたって、病気の子供たちのために、まさに献身的に頑張ってこられた方だと認識している。

そうわけで、まったく当ブログとは関係のないことながら、坂上さんの活動がなんとか継続できるよう、わずかなりともお力になりたく、これを書いた次第である。
読者諸氏で、ご賛同くださる方、意のある方のご支援を賜れば幸いである。

「NPO法人 病気の子ども支援ネット 遊びのボランティア」の詳細についてはネットで調べれば簡単に分かる。

事務局 病気の子ども支援ネット 遊びのボランティア
新宿区若松町10-1 YSビル302 TEL 03-6380-3115
銀行口座=三井住友銀行深川支店 普通3790894
郵便貯金口座=記号10040 番号97720491
口座名=病気の子ども支援ネット 遊びのボランティア

9月24日 12時16分記
最近、テレビ、新聞等で、立て続けに、言葉関係で興味をひかれたことがあったので、ここで、まとめて書いてみたい。

⓵「総理」と「首相」
>加計問題で一貫して「挙証責任は文科省にある!」などと主張してきた高橋洋一氏は、“官僚は「首相案件」ではなく「総理案件」と言うはず”と主張し(以下略)(LITERAより)

>“「首相案件」ではなく「総理案件」と言うはずだから信憑性は低い”という指摘は、下村博文元文科相や『プライムニュース イブニング』(フジテレビ)キャスターの反町理氏や田崎史郎氏も同様に語っているが、明らかなインチキ。元文部官僚の寺脇研氏なども指摘していたが、むしろ「総理」は口語として使われる言葉で、文書化の際には「首相」とするのが一般的なのだ。(同)

どうであろうと、あの文書の信憑性に変わりはないと思うので、こんなことを問題にすること自体ナンセンスと思うが、ここで論じようとしているのは、そういうことではない。
テレビで字幕を見ると、画面で話している言葉を言い換えたりしていることがままある、字数節減のため妥当なケースも多いが、意味もなく言い換えていて問題のあるケースも珍しくない。
一例を挙げると、麻生さんが佐川さんについて話しているとき「佐川」、「佐川」と呼び捨てにしているのに、NHKなどは「佐川元長官」などとするのである。石原慎太郎氏など、その人の尊大さ丸出しで人を呼び捨てにしている場合、ちゃんとそう字幕で出さないといけないのに、そういうケースでも敬称等を付ける場合がほとんどなのである。

ついでに言うと「食べれる」、「見れる」などの、いわゆる「ら抜き言葉」をインタビューなどで一般人が話すと、ほぼ100%、テレビでは「食べられる」、「見られる」と字幕では表示される。
誰か「ら抜き」でなく話す人は現れないかと長年思っていたら、数年前、ついに「見られる」と言う方が出現した。
そうしたらどうなったか?「見れる」と字幕では出たのだ。唖然とするしかない。
「ら抜き言葉」はけしからんとその撲滅に命を懸けているのかと思っていたら、このざまだ。

話を「総理」と「首相」に戻そう。
これは「ら抜き言葉」のようには100%ではないが、それでも80%以上、「総理」→「首相」、「首相」→「総理」と、言い換えられる。
字幕を作成する人は、よほど暇で退屈で、こういう変換を唯一の楽しみに、仕事をしているのだろうかと、疑いたくもなる。
しかし、安易にこういう言い換えをすることは、問題が大きい。愚直に可能な限り、そのまま伝え、変える場合は、大いに慎重であるべきだ。
菅官房長官が、前川前文科事務次官について「地位に連綿」と発言したのを、「地位に恋々」と書き替えるのは、忖度なのか何なのか分からないが、問題だろう。麻生さんのように「みぞうゆう」などと言われたら、どう画面で表示するか大いに悩ましいが、菅さんの場合は、そう頭をひねることではない。「連綿(恋々のつもりか)」、あるいは「連綿ママ」(ママ=校正記号=は小さく表示)とでも表示すればいい。

【劣情】
 「総理夫人を国会に呼んできて公開裁判みたいにいじめて泣かしたいという劣情ですよ」。 (フジテレビ上席解説委員・平井文雄氏)
司会者が「野党の?」と聞くと彼は「国民の、ですよ。憂さを晴らしたい」と答えた。 (3.18日のフジテレビより)

これには耳を疑った。難聴気味のため聞き違えたかと思い、妻に確かめたが「劣情」と確かに言ったという。
劣情、昭恵さんに劣情?

国語辞典では、「劣情」をどう書いているか。「いやしい情欲」(岩波国語辞典)、「いやしい情念。情欲。肉欲。」(新世紀大辞典)などとなっている。
広辞苑は⓵いやしい心情。②肉情、情欲。としており、平井氏は⓵の意味(今では通常、こういう使い方はしないだろうが)で使っているわけであろう。
言葉の使い方としては間違いではないにしても、こういう状況で昭恵さん擁護のために「国民の劣情」とテレビで発言する太っ腹にただただ唖然とするしかない。

私は百科事典の編集の仕事が終わったら、国語辞典を編集したいという願望があった。これについては、機会があれば書いてみたいが、ここでは私が編纂したいと考えている国語辞典風に「劣情」について書いてみる(例文も加え)と

「劣情」
異性に(主に男性が女性に)対し抱く性的にみだらな気持ち。主に法的あるいは道義的に問題があるような場合に用いられる。
「被告は被害者女性Aさんに-をもよおし」

【余裕で屈する屈する】
『週刊文春』の最新号でBSフジ「プライムニュース」の松山俊行氏の愛人スキャンダルが報じられている。
文春が手元になく、例によって記憶で書いているので、やや不正確なのはお許しを。
愛人スキャンダルは、ここではどうでもいいのだが、彼が、愛人に、政権か何かから圧力があったらと聞かれ
「余裕で屈する屈する」
と答えたというのだ。
思わず笑ってしまった。「余裕で」の使い方や「屈する屈する」という言い方に対してだ。
しかし笑っている場合ではないだろう。いかにフジテレビとは言え責任ある立場の人物の言葉だ。ここまで惨憺たることになっているとは。

4月14日 21時42分記
>朝日新聞の世論調査で内閣支持率が下がってもあまり驚かないが、読売新聞でも大幅に下落し、不支持が支持を大幅に上回った。
これは4.08日の日経朝刊の「風見鶏」欄にある文だ(筆者は大石格氏)。
日経新聞が、それなりに露骨に朝日新聞を揶揄するような書きぶりの記事を掲載していることに驚いた。それで、大石格なる方について調べたのだが、それについては、後で書くこととし、まずは、新聞社等の世論調査について書く。

もう1ヵ月くらい(?)前になると思うが、日経に世論調査の数字が各報道機関で大きく異なる理由について書いた記事が掲載された。切り抜いておくのをしなかったので、記憶で書くので、多少の思い違いがあるやもしれないが、基本的に大きな間違いはないはずである。
その趣旨は、内閣支持率で日経などと朝日などとで大きな差が出る原因は、日経など(もう1社記載があったと記憶するが正確な記憶がないので略)は2度聞きをしているのに対し、朝日(こちらも他に1~2社記載があったと思う)はそうでないためだということである。
2度聞き(この表現だったかもやや怪しい)とは、答えないだったか分からないだったか、どちらとも言えないだったか、の層に強いて言えばどうかを聞くということだったと思う。
これをするため、日経などの方が、朝日より内閣支持率が高く出るというのである。

この説明を読んで、私は釈然としなかったのみならず、この記事の意図を訝(いぶか)った。
そうした中、今日の記事である。

内閣支持率が2度聞きのため日経等で朝日より高く出るというのは、分析がおかしいのではないか。
2度聞きで数字が多少高く出るとしても、それは不支持率にも表れそうなものだ。だから、単に2度聞きだけが原因なら、日経も朝日も支持対不支持の比率は大差なくなるはずである。
以下に両社の安倍内閣支持率を示す。

             支持  不支持
朝日(3.17日~18日)  31%  48%
日経(3.23日~24日)  42%   49%   

多少なりと分析力のある者が見れば、いつもと言っていいくらい感じるのは、日経の数字と朝日の数字を比べると、常に、日経は政府寄り、朝日は反政府的ということだろう。
上表を見れば歴然だが、日経の場合、支持率は朝日を11ポイントも上回るのに不支持率は1ポイントしか上回っていないのである。

どうしてこういう結果になるのだろうか。
日経の言い訳じみた解説は別として、こうしたマスコミ各社による内閣支持率等に大きな差異が生じる原因について、きちんとした説明がほとんどなされていないように思うので、以下、私の分析を書くとしよう。

①マスコミ各社の数字の差異を見ると、歴然とした特徴がある。
②それは政府寄り(右寄り)メディアの調査では政府寄りの、政府に批判的(左寄り)メディアでは反政府的の、数字になる。
注=民主党政権時代は除く。

まずこうした実態を踏まえて、そうなる原因を考察することになる。
マスコミ各社から、内閣支持率等についての世論調査のお願いの電話が来た時のことを考えてみよう。
①産経新聞からの電話=左寄りの人では、産経と聞いただけで拒否反応を起こし電話を切る人が、それなりに出よう。逆に右寄りの人では回答率が上がろう。
②朝日新聞からの電話=右寄りの人では、朝日と聞いただけで拒否反応を起こし電話を切る人が、それなりに出よう。逆に左寄りの人では回答率が上がろう。
③忖度=支持・不支持等でどちらとも明確でないような場合に特に影響が出ると思われるが、日経からかかってきたら日経が、朝日からかかってきたら朝日が、それぞれ喜びそうな答えを選ぶ確率が多少は高まると思われる。

以上のようなことが原因で、マスコミ各社の支持率調査では、顕著に以下のような傾向がみられるのである。
ただし、これはかなり私の主観が入っており、厳密な調査に基づいたものではないことをお断りしておく。

内閣支持率が高目に出る各社(高い順)=産経、読売、日経、NHK
内閣支持率が低目に出る各社(低い順)=朝日、毎日、共同通信

大石格氏について、その書いたものを調べると、やはり、どこかずれていると感じざるを得ない。
>加計学園や森友学園問題について、「法的には何の問題もない。」(2017年11.23日日経電子版)と言われる。
産経新聞なら驚かないが、日経新聞の記事である。物事への感じ方は人それぞれだが、マスコミがこう書くからには、それなりの根拠を示すべきだろう。

4月08日 17時12分記
3.27日に公示地価(2018年1月1日時点)が発表になった。全国の公示地価の全用途平均は3年連続で上昇となった。また昨年7月3日には路線価が発表されている。全国トップは32年連続で東京都中央区の銀座中央通りで、1㎡当たり4032万円で、バブル期の3650万円(1992年)を上回って初めて4000万円を超え、25年ぶりに最高額を更新した。

東証1部の時価総額も2017年度末(2018年3月30日終値で算出)647兆円となり、年度末としての史上最高を更新した。

こういうニュースを聞いて、何か違和感を感じないだろうか。
感じないという方は、やや問題がある(と言うか問題を感じて欲しいわけである)。

まず簡単な方の東証1部の時価総額について書こう。
これについてはすでに数年前、高名な経済学者が、東証1部の時価総額はバブル期の史上最高時を超えた趣旨の発言をテレビでされ、私は違和感を覚えたことを思い出した。
日経平均のバブル期につけた3万8915.87円という史上最高値に対し現在2万1454.30円である。それなのに、時価総額は史上最高水準にある。理由は言うまでもない。上場企業数が激増したからである。
日経新聞は「バブル経済期末のピークを1割近く上回った。」とし、「時価総額の拡大を引っ張ったのは半導体やFA分野で販売が伸びている企業だ。」と解説する。
上場企業数については一言も触れていない。しかし、手元の資料(1989年末頃の四季報が探し出せなかった)では
1990年01.30日現在1191社
2018年03.16日現在2073社
要するに、実態としては株価は大きく下げたままで時価総額は急減するはずなのだが、一昔前なら、絶対東証1部になど上場させてもらえなかったような企業もバンバン昇格させ、上場企業数を1.7倍にまで増やしたため、かくなる珍妙な現象が起きているわけである(一方NY市場は逆に上場企業数が減少、現在では東証の方が多くなったと記憶する)。
それなのに、知ってか知らずか、これに言及するマスコミ等は皆無なのは困ったものである。

次に都心一等地の地価がバブル期を超えたという話について。
私は昨年7月にこの話を聞いたとき、えっと驚いた。にわかには信じられなかったからである。続いて、今回、公示地価上昇のニュースでも同様なことが語られたのを機に、昨年7月来抱いてきた違和感を考えてみた。
そして、違和感の生じる原因を解明できたので、これを書いているわけである。

よく例に出す東京都渋谷区にあるマンション、広尾ガーデンヒルズの価格はピーク時(バブル期)で1㎡当たり1000万円を超えていた。細かいデータを今持ち合わせていないので、記憶で書くので、やや大雑把なのはお許し願う。
向き、所在階、建築年等でかなり違いはあったはずだが、それでもほとんどの住戸が1㎡1000万円越え、つまり100㎡10億円以上したことを、私は鮮明に思い出す。広い住戸ほど㎡単価が高かった。
では今広尾ガーデンヒルズは100㎡いくらだろうか。
ピーク時の築年数に換算して、大雑把に言うと2億円~せいぜい2.2億円だろう。
つまりピーク時10億円強→2億円強
と5分の1にまで劇落しているのである。
これが私が抱いた違和感の原因である。

では、路線価など、地価はピーク時を超えたのに、都心の一等地のマンション価格はピーク時から、なぜかくも下落しているのだろうか?
これについても、だれも解説しない。
というより、こういう疑問を抱いている人がそもそもほとんどいないわけだろうが。
私は、この原因(少なくともその有力な一つの原因)として、小泉政権以降、強力に推し進められた規制緩和で、大都市圏では容積率も大幅に緩和され、40階以上の超高層マンションが次から次へと建設されるようになったことがあると考えている。
これまでなら13階建てまでしか建てられなかった地域に50階建てが建設されるようになったのだから、地価は大きく上げてもマンション価格は比例して上がらないのは自明の理である。

それでも、これでだれもが得をしたのならいいが、そんなうまい話があるはずがない。
タワマンはブラックホールのような負の面を持つ。
タワマン林立の都心中の都心、あるいは武蔵小杉(神奈川県川崎市)に人々が吸い寄せられ、一方、都心通勤等でハンデのある郊外の地価は下落するという現象が起きているわけである。
日経新聞には「地方圏の上昇 顕著に」という大見出しが躍るが、これも誤解を招く見出しである。
バブル崩壊後、地方では地価はほとんど一度も上げていないと言っていいくらいなのが実情である。
今回、地方の地価が全体としてプラスになったのは商業地がそこそこ上げたためであり、住宅地はなお下落している。要するに駅前などの一等地が、再開発や容積率緩和でピンポイントで上げているだけで、人が住むところはこの30年くらい、ほぼ毎年じわじわと下落を続けているわけである。
この実態をよく知らないと、人生設計を誤りかねないので、あえて取り上げたわけである。
私の住む鎌倉の住宅地も昨年はわずかに上げたらしいが今年の公示地価は再び下落に転じたと、神奈川新聞が報じている。
東京でも郊外は全く値上がりしていない。知り合いに、大昔、八王子市のめじろ台に家を建てた方がいるが、めじろ台の公示地価は今回、横ばいである。調べると八王子市には下落地点もある。国分寺や立川なんぞに駅前タワーマンションができるのだから、その先のめじろ台に新たに家を買おうという方は激減したはずである。

2015年1.10日付けの当ブログで、豊島区の消滅リスク(日本創生会議・人口減少問題検討分科会 提言)について批判した。若年人口の減少率が高いからといって豊島区に消滅のリスクなどはない、人口移動を考慮しないかのような論は論外だと考えたからである。これを裏付けるような統計数字も出されている。
3.30日発表のもので、国の研究所が発表したのである。
2045年には、東京以外のすべての地域で人口が減少するという。ついこの間までは沖縄が最も元気な地域で、沖縄と東京だけはかなり先まで人口増と言っていたのではないか。ほんとかいなと思っていたのだが、やはり今回沖縄は脱落した。

地方の村・町が次々と消滅、そこで維持されてきた貴重な文化(芸能、建築物、方言、料理等々)も失われていく。地方の高齢化、急激な人口減の行き着く先はそういうことである。
早く、こうしたことに歯止めをかける施策が必要である。
タワマンの建設規制も含め、行政は問題を強く意識し、対策を立てなくてはならない。

そもそも、武蔵小杉(川崎市)のように、交通が便利になった、これは売れる、税収が増えると、官民一体になって、容積率緩和・超高層マンション建設に突っ走るでは、景観問題も生じる、待機児童も大量発生、周辺自治体、というより、もっと広範囲の自治体で人口が流出するということになる。これを野放しにしていいのかである。

例えば、鎌倉市で考えてみよう。
人口減にストップをかけ、税収アップを狙って大船駅直結の巨大タワーマンションを建設することを決定したとしよう。大船・東京間は45分程度、大船品川間でも33分程度はかかり、駅から10分程度のマンションは、あまり人気がない。しかし駅直結なら国分寺(シティタワー国分寺ザ・ツイン)や立川(サザンスカイタワーレジデンス)の例を持ち出すまでもなく、人気になる。
100階建て(日本最高層)ツインタワー、総戸数4000戸、世界最大規模、何から何までそろったメガマンション
を売り出すのである。
しかし、こんなことが許されるだろうか。
とは言え、一昔前、越後湯沢には、それに近いことが起きたわけであり、今、武蔵小杉やニセコ(北海道倶知安町)で進行しているのも同様である。
都市計画が全くなかったり、あってもかなり緩いというのが、日本の抱える問題である。50年、100年、あるいはそれ以上先を見据えた都市計画を都市部のみならず、地方圏でも早急に立てるべき時期なのである。

3月31日 20時35分記
大納会も無難に終えのんびりムード。ご同慶の至りです。
本年もご愛読ありがとうございました。

年末の大掃除(と言ってもものぐさにまた輪がかかりたいしたことはしないのですが)も、ようやく終わり、明日からは数日、株から離れて自然の中で過ごし、来年3日から復帰、お年玉銘柄についても考えなくてはと思っています。
お知らせしたいこともあるのですが、まだ言っていいものやら未確認なのでしばしお待ちを。

良いお年をお迎えください。

12月30日 18時40分記